昔は、絵描きのパレットが汚れていることに、どこか憧れのようなものを感じていた。
いろいろな色が混ざり合い、絵の具が何層にも重なったパレット。あれこそ長年描き続けてきた画家の証であり、なんだか格好いいと思っていた。
だから、パレットなんて汚いままでいい。発色なんて、それほど気にするものではない。そんなふうに考えていた。
でも、最近になって少し考え方が変わってきた。
色を混ぜすぎると、どうしても色が濁ってしまう。濁った色そのものが悪いわけではないけれど、絵全体のメリハリが失われてしまうことがある。
特に、背景とモチーフの関係。
背景の色が濁り、主役となるモチーフまで同じような色味になってしまうと、せっかく描いたものが埋もれてしまう。明るさや鮮やかさの違いが曖昧になり、絵そのものがどこか汚く見えてしまうこともある。
最近、発色を大切にしている絵描きの気持ちが、少し分かってきたような気がする。
色を混ぜすぎないこと。必要なところには鮮やかな色を残しておくこと。濁らせるところと、濁らせないところを意識すること。
発色というのは、単に色を鮮やかに見せるためだけではなく、絵の中にメリハリを生み出すためにも重要なのだと思う。
そう考えると、昔、格好いいと思っていた画家の汚れたパレットも、少し違って見えてくる。
あの汚さは、ただ適当に色を混ぜた結果ではなかったのかもしれない。

必要な色を作り、色の重なりを知り、どこを濁らせ、どこに鮮やかさを残すのか。
その積み重ねが、あのパレットに表れていたのだろう。
パレットが汚いこと自体を、画家らしさだと思っていた昔の自分。
今の自分が見れば、その汚さにもきっと意味がある。
……そう思えるようになったのは、少しは自分も絵を描くことを理解できるようになってきたからなのかな。

